スタッフ紹介

あなたの整体を担当する土井雄策です

磐田整体ラボラトリー代表:土井雄策

磐田整体ラボラトリー代表の土井雄策です。
「生きてる限り何でも治る!」をモットーに
整体しています!

【出身地】大阪市内の繊維卸が立ち並ぶ船場
【座右の銘】継続は力なり
【趣味】SUP 一人旅 ラーメン屋巡り
【所有資格】国際セラピスト(世界54カ国)鍼灸師
大型特殊自動車と大型免許(笑)

 

生い立ちについて

出身は大阪市の船場で繊維問屋がズラリと並ぶ少し

変わった雰囲気の街で生まれました。

幼少期はそれほど体力もなく、小学校では運動音痴の

部類に入っていました(笑)

 

そのため友達や女の子からもからかわれることが多かったです。

いじめと言うほどではなかったものの、学校でも毎日からかわれ

体育の授業中もクラスの女子にカッコイイところが見せられず、

あまりモテない小学生時代を過ごしました。

 

中学に入ってからは一応テニス部に入りましたが、

それほど真面目に頑張るわけでもなく、

卒業アルバム対策としてだけ所属していた感じでした。

 

その代わり、小学校6年生から通い始めた

少林寺拳法にはどっぷりとはまり、

毎日のように道場へ通い師範の先生や

先輩の道場生と練習や組手に明け暮れました。

 

お陰で中学生からは体力もメキメキと向上し、

運動能力も高くなり、体育祭などでは主力で

クラスを引っ張るような存在、小学生の頃に

憧れていた自分になることができました。

 

しかし勉強はお粗末なもので、

家庭の事情による転校の繰り返しも重なり、

まったく授業に付いていけない状態に陥り

勉強は大嫌いになってしまいました。

 

そんな中学時代を過ごしたものですから

高校もそれなりのレベルの学校にしか入学できず、

お恥ずかしい話ですが不良の多いちょっとヤバめの

高校に入学してしまいました(苦)

 

しかしその高校には自分が唯一打ち込んできた

少林寺拳法が部活動として存在し、周りのチョイ悪学生に

流されることなく充実した高校生活を過ごせました。

 

部活動では全国大会に出場し、学校では生徒会長も

務めさせてもらい、これ以上ない充足感で高校生活を

過ごすことができました。

 

高校卒業後から今に至るまで

高校を卒業して最初に自衛官として働きました。

実はこの自衛隊に入ったおかげで整体師への道が

開けることになったのが不思議な縁でした。

陸上自衛隊では衛生兵でした

自衛隊に入隊するとまず最初の一週間はとにかく

様々な適性検査を受けさせられ、個人の持っている

能力や適性を徹底的に分析されます。

 

専門職の集団でもある自衛隊は、適性検査の結果を

重視して配属される部隊を振り分けます。もし自分が

入隊したい部隊を志願しても適性が満たされなければ

絶対に配属してもらえないのです。

 

自分はとにかく「最前線で国のために戦いたい!」と

やっぱり花形である戦闘部隊を希望したのですが、

なんと戦闘要員としての適正なし・・・との判定が。

 

体力も自信があり少林寺拳法でも

全国大会に出場し、後の自衛隊の中で行われる

銃剣道大会でも優勝を飾るなど戦闘能力は人並み以上に

あるだろうと自負していたのに・・・。

 

問題となった適性はそのような戦闘能力の部分ではなく、

自分の持ち前の機械音痴が原因でした。

武器の扱いや整備にはそれなりの適性が必要だそうで(笑)

 

では自分の適正で配属される部隊はどこだったのか?

それが整体師へのきっかけとなる衛生隊でした。

 

衛生隊とは戦闘により負傷した隊員救護する医療部隊で、

自衛官でありながら医療系の勉強や資格を取得する少し特殊な部隊でした。

ここで初めて人間の体の仕組みについて学ぶきっかけを頂いたのです。

 

適性検査とは恐ろしいもので今まで全く興味のなかった

医療の世界ですが、学ぶに連れて面白くなり学生の時よりも

真剣に勉強している自分がいました。

 

自衛隊では様々な訓練に参加して、充実した毎日を送っていました。

 

銃などのフル装備で走り回るハイポートや三日三晩寝ないで

様々な想定をもとに行う野営訓練を始め、武術に少し覚えのあった

自分は銃剣道の選手としても頭角をあらわし、国体にも出場しました。

 

その中で無理がたたり自衛官を続けていくには支障をきたす怪我を負いまし。

 

左膝の半月板損傷と、原因不明の激痛を伴う腰痛です。

自衛隊内の病院や民間の病院でも受診したら一言

 

「手術しよか!」

 

そんな簡単に言ってくれるな!と思いましたが、

病院では手術療法しか手立てがなかったのです。

 

それでも何とか手術は回避して膝や腰を守りたかった自分は、

民間療法と呼ばれる色々な治療を受けて回りました。そこで

いちばん自分の膝と腰の痛みに効果を感じたのが整体です。

 

お陰様であれから20年以上がたつ今でも自分の膝や腰は

なんともありません。しかしあの時、医者のいうとおりに

手術した自衛隊の後輩は、今では足を引きずって歩いています。

 

そんな体を治す技術に感動した私は、整体の仕事に魅了され、

自衛隊在隊時にカイロプラクティックの夜学に通い、

卒業後は自衛隊も退職し、病院でのリハビリや整骨院で

多くの臨床経験を積んできました。

 

整体やカイロプラクティックの素晴らしさに触れながらも

東洋医学の神秘的な理論に惹かれて25歳の時に再び鍼灸師の

専門学校の夜学に通い、無事に国家資格を取得しました。

 

鍼灸師になった後は、経絡治療を中心とした鍼灸院や

内科のクリニックなどで鍼灸技術を磨き、多くの症例と

経験を積み鍼灸師としてのスキルを向上させてまいりました。

 

2013年には日本ではまだ19名しか取得していない

オーストラリア国家資格であるリミディアルマッサージの

資格を取得し、世界54カ国でこの仕事に携わることが

できる国際セラピストの称号を取得。

さらなる整体技術と知識を磨くために多くのセミナーに参加し、

その過程で整体インストラクターとして同業の整体師にその

技術を教える機会も増えました。今では全国各地へ依頼をいただくたびに

出張講師を務めています。

 

働いていた会社でも整体部門を立ち上げその院長として

整体に勤しみながら、スタッフの育成も行い、多くの

弟子と呼べるスタッフを育ててきました。

 

そのスタッフに自身が立ち上げた整体部門を譲り、

2018年9月2日からは磐田市の南部で磐田整体ラボラトリーを

設立し、さらなる整体治療の研究と施術に勤しんでいます。

 

「生きてる限り何でも治る!」

をモットーに今もなお現状に甘んじることなく

様々な治療法を学び、自分の中に落とし込んで

さらに効果の出せる技術へと研究に磨きをかけています。

 

その研究心をお店の名前にも反映させて

「磐田整体ラボラトリー」と名づけ、今後も看板に偽りなく

研究を続けていきたいと思っています。